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『いだてん』ヤマ場なのに壮大な期待はずれ…クドカンの“独り善がり”脚本に落胆の声続出

1 :風吹けば名無し:2019/03/26(火) 19:58:07.35 ID:9GK97MkZa.net
https://biz-journal.jp/2019/03/post_27227.html
四三は慣れない異国での生活から来る疲れやストレス、そして暑さのせいで苦戦していた。
もうろうとする意識のなか、少年時代の自分が目の前に現れ、四三を導く。
この演出になんの意味があったのかは正直言ってよくわからないが、素朴な子役はかわいいし
単調になりがちな映像に変化を持たせるという意味では良かったように思う。
 

問題はこの後だ。調子を取り戻した四三は、序盤で飛ばしすぎたランナーたちをどんどん追い抜き
ペースを上げていく。すると突然、空の人力車を引きながら東京の町を疾走する
美濃部孝蔵(森山未來)の映像に切り替わった。人力車を引きながら噺を覚えたので
人力車を引きながら稽古すればスムーズにいくという孝蔵。
ゆかりの人々が沿道で応援しているような幻覚を見ながらひたすら走り続ける四三と
派手なCGを背景に疾走する孝蔵の映像が何度も交互に映し出される。
 
このあたりで少なからぬ視聴者から「わけがわからない」
「序盤のクライマックスに落語をねじ込むクドカンの神経がわからない」と批判の声が上がった。
一応擁護すると、孝蔵のシーンは映像としては凝っていて美しかったし
四三と孝蔵をリンクさせる構成は今まで何回かやってきているのだから
その流れに沿っただけといえる。
 

ただ、脚本の宮藤官九郎がごり押しするのとは対照的に、『いだてん』を見ている視聴者は
古今亭志ん生やその若き日である孝蔵にそこまでの思い入れがない。
別の言い方をすると、クドカンは自分が落語を好きであるあまり、視聴者も同じだと思っている節がある。
だから、昭和の大名人である志ん生が「オリムピック噺」を語るというプロットを
みんながおもしろがると思っているし、ごろつきだった孝蔵が
いかにして大名人と呼ばれるまでになったかの話を描けば誰もが興味を持つと思っているのだろう。
それゆえに、視聴者に志ん生もしくは孝蔵を好きになってもらおう
興味を持ってもらおうという努力をしていないのだ。

そのため、視聴者の意識との間に大きなズレが出てしまう。
その結果、「せっかく四三の走りを見守っているのに、関係ない孝蔵の近況などねじ込むな」という不満が残ってしまうのだ。

2 :風吹けば名無し:2019/03/26(火) 19:58:26.29 ID:EiulpbHQa.net
落語要素いる?

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