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運虎武龍

1 :風吹けば名無し:2018/12/22(土) 00:12:00.50 ID:+ZVn0Yzz0.net
運虎武龍(うんこぶりゅう)とは、唐代の法律家・詩人、澤貴洋(タク-キヤウ 、生没年不明)の故事にちなんだ故事成語である。

戦いにおいて運と武力は丁度虎と龍の争いのように拮抗しており必ずしも武力のある方が勝つわけではないという意味。
転じて、「ああああああああああ!!!」と奇声を上げて脱糞するさま。

2 :風吹けば名無し:2018/12/22(土) 00:12:36.05 ID:+ZVn0Yzz0.net
8世紀初頭、唐は繁栄を謳歌しながらも、北方の遊牧民系集団、中華思想で言う狄による度々の襲撃に悩まされていた。
しかもそれまでは押して押されての均衡した状況であったのが、月永帝(げつえいてい)が皇帝に即位するとこの状況は更に悪化してしまうこととなる。

月永帝は唐の歴代皇帝の中でも屈指の遊び人であった。彼は青空を鑑賞して一日を過ごすことがあったかと思えば、武芸を研鑚するという名目で部下の兵士を引き連れて山奥まで虎狩りに出かけ、
狩った虎の肉をその場で食する「虎研磨」という行事を突如として始め出すこともあったという。

この為、内政が混乱するようになった上に異民族の軍事行動への対処が後手に回り、国境(長城)付近の町や村が大損害を被る事が常態化してしまったのである。
そしてある日、危機感を覚えた臣下の一人、谷 川亮(コク-センリャウ)は彼に進言をした。
「陛下、長江の治水工事があなたの放蕩により遅滞しているために、度々の川の氾濫により流される家々は幾千戸、命を落とす人民(百姓)は幾万人にも及びます。彼らは流されて行方も知れず、葬式どころか墓を建ててやることもできません。 
また、夷狄(いてき)に対する備えも忘れられており、長城は補修を怠っている為に所々が朽ち崩壊しております。 私は北の蛮族どもとの戦いに何度か加わったことがあります。 
彼らの馬の蹄が、戦いの初めに作る微動を私は気持ち良くは感じず動悸を抑えられませんでした。 武人の私ですらこうなのに、人民たちが日々侵攻の恐怖に怯えていないなどということがありましょうか。 いやない。 
陛下、私は進言いたします。 一つ、遊びをほどほどに慎み天子としての本来の仕事を為すこと。 一つ、ただちに兵士の訓練を開始させ、北への防備に当たらせること。」

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