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【感動】下関国際の応援団長、ぐう聖だった
- 1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/08/14(月) 13:22:32.25 ID:a3wAIVlq0.net
- ■下関国際の応援団長・田中達也選手
「だらしない」と言われ、怒られ続けた2年4カ月だった。
下関国際は第1志望じゃなかった。
「どうせオレなんて……」。授業の提出物をサボったり、野球部の遠征のバスで禁止されている居眠りをしたり。
「楽な方へばかり流され、責任なんて考えなかった」
仲間は見捨てなかった。「自分たちの問題は、自分たちでクリアする」のが部のルール。
同学年の河原は提出物ができるまで練習に行かずに待ってくれた。走るのが苦手で、
冬恒例の制限時間走でタイムオーバーになりそうになると、先にゴールした福永が手を引っ張ってくれた。
恩返しがしたいと思っていた。2年の冬、仲間と近くの漁港でアルバイトした。
重さ20キロの積み荷を朝9時から夕方まで運び続ける。力仕事なら得意だ。会社の人から「仕事が早いね」と褒められ、気づいた。
「自分にできることをやりきることが大事」。
それからの練習の準備と片付けは、誰よりも早く取りかかった。山口大会前にメンバーを外れたが、監督から応援団長を任された。
実は、関西にきてからもバスで居眠りをしてしまった。悪い癖は直っていないけれど、挽回(ばんかい)のすべは心得ている。
この日、負けたけどアルプス席で人一倍声を張りあげた。
試合後のインタビュールームでは、泣きじゃくる仲間をよそに、一心不乱に道具を片付けた。
「僕に与えられた仕事なんで」。声を詰まらせながら、でも堂々と言った。責任感を覚えた夏だった。
「だらしない」怒られ続けた2年4カ月 応援団長で挽回
http://news.livedoor.com/article/detail/13468668/
- 2 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/08/14(月) 13:23:58.13 ID:5u5DBc5b0.net
- しょうもないのは監督だけやったな
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