2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

武田信玄、高坂昌信に浮気を詰問され「お前以外の男と寝ることはない」と必死に釈明

1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/08(月) 19:57:17.84 ID:tcEa+pSea.net
https://www.news-postseven.com/archives/20170502_521844.html

2 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/08(月) 19:57:37.78 ID:tcEa+pSea.net
武田信玄 男性同士の色恋の痕跡を残す珍しい手紙が存在

歴史小説や大河ドラマで描かれる戦国武将は常に賢く、常に勇ましいが
実際は人間味溢れる一面もあったようだ。武田信玄が春日源助に宛てた手紙は、
浮気はしてないと必死に言い訳するものだった。

【現代語訳】

〈一、弥七郎に度々言い寄ったが、虫気(腹の病)ということで相手にされていない。これは偽りではない。
一、弥七郎を伽(寝床)に寝させたことはない。以前にもそのようなことはない。
まして、昼夜、弥七郎とそのようなことに及んではいないし、今夜もそうである。
一、別して、知人ということで色々走りまわれば、かえって疑いを受け、それは迷惑である。
この条々、もし偽りであれば、当国一、二、三大明神、富士、白山、殊には八幡大菩薩、諏訪上下大明神より罰をこうむるべきである。(以下、略)〉

並み居る戦国武将たちから「甲斐の虎」と恐れられた武田信玄。
1546(天文15)年のものと推測されるこの手紙からは、純情な恋心がうかがえる。
宛先の春日源助は、武田家の軍学書『甲陽軍鑑』の著者であり、
武田二十四将に数えられる家臣・高坂昌信といわれている。
20代の信玄の恋の相手は男性だったのだ。

源助から弥七郎との浮気を詰問されたのだろう。
手紙では、言い寄ったことは認めながらも「一度も寝ていない」と必死に弁明し
これが嘘ならば神仏より罰を受ける、と言い切っている。
「当時は男性同士の色恋、衆道が一般的だったとはいえ
その痕跡が文書となって残っているのは珍しく、この一通限りではないでしょうか」(静岡大学名誉教授・小和田哲男氏)

3 :風吹けば名無し@\(^o^)/ (スプッッ):2017/05/08(月) 19:58:08.17 ID:5zBr+DPvd.net
>>1
アフィスレ

総レス数 3
2 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200