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宇都宮健児、弁護士事務所を二度もクビになっていた

1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/07(日) 09:31:44.89 ID:jqFKnVw30.net
日弁連会長の宇都宮健児さん 「人間は他人のためにがんばれる」 2度もクビに
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110220/bdy11022007010000-n1.htm
 東大法学部に在学中、司法試験に一発合格。貧しい実家を助けるために中退し、24歳の若さで弁護士になったエリートは出だしからつまずいた。独立には中小企業の経営者と懇意になり、顧問弁護料を確保する“営業”が求められる。
しかし、人付き合いが苦手な青年はどうしても自分の売り込みができないのだ。

 結局、イソ弁時代は12年にもわたった。真っ白なスケジュール帳を脇に置き、喫茶店で時間をつぶすことも。「向いていないのでは」と悩む日々が続いた。

 1つ目の事務所は8年目でクビに。弁護士会の斡旋(あっせん)で何とか次の事務所に入ることができたが、状況はほとんど同じだった。

 ただ、少しだけ変化があった。初めて名指しで依頼が舞い込んだのだ。弁護士会から紹介された多重債務者だった。「暇そうに見えたのでは(笑)。依頼者がいるだけでありがたかったので喜んで引き受けた」

2 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/07(日) 09:32:01.88 ID:jqFKnVw30.net
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110220/bdy11022007010000-n3.htm
 仕事は軌道に乗り始めたが、またも事務所からはクビを宣告される。「(みすぼらしい)多重債務者が集まっては体裁が悪い」が理由だった。

 「全人格を否定されるような屈辱だった」が、落ち込んでいるひまはない。多重債務に苦しむ人のためには、何とかしなければ。独立しか選択はなかった。

 昭和58年、東京・銀座に事務所を設立。すでに36歳になっていた。顧問先の会社が全くない中、ビル3階にあるわずか8坪の部屋でのスタートだった。

3 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/07(日) 09:33:25.36 ID:gdgBEXbkd.net
上級国民のIP開示しか能がない人とは大違いやな

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