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横浜優勝時の権藤監督が実践した「三無主義」とは

1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/05/27(火) 19:24:15.78 ID:hkVkRWCf.net
 そんな権藤に1997年、横浜から声がかかる。大矢明彦監督就任の際、当時の球団社長・大堀隆が「大矢では大人しすぎる。誰か候補はいないか」と“物の言える”コーチを探していたのだ。
私にも意見を求められたので、権藤を推薦すると、大堀は権藤を気に入り、1997年に優勝を逃すとすぐに監督に据えた。初めての監督職だったが、「声がかかった以上はやるしかない」と、権藤は快諾した。

 私はその時、権藤に「1年間通してチームを追いかけさせてもらいたい。それも西武と対比したものでやりたい」と申し出た。この年、必ずこの2チームは面白くなると確信があったからだ。これが雑誌『Number』での連載「決断」になった。

 権藤は「どうなるのかわからないチームなのに……」と笑いながらOKしてくれたが、西武はなかなか球団が許可をくれず、最終的には親交のあった東尾修監督のおかげで何とかなった。球団の許可なく監督の個人的な気持ちで始めさせてもらった、思い出深い連載だった。

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