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【悲報】日本人のヤバさがわかる「勝ち組負け組」の話 絶対読むべき

1 :風吹けば名無し:2020/08/25(火) 17:54:44.46 ID:qIMmDOCd0.net
第二次世界大戦終了後、地球の裏側・ブラジルでは、そこに移民していた日本人のたちの間で「日本は勝った」「いや、負けた」と意見が真っ二つに分かれ、その対立は殺人事件にまでエスカレートしていった。

▼戦争終結。その時ブラジルでは・・。

1945年、第二次世界対戦が終結した。日本ではポツダム宣言を経て、無条件降伏文書に調印し、日本にとって戦争は「敗北」という形で終了した。

これ以降、日本はアメリカの支配下に置かれることになる。

そして終戦後、日本にとっては地球の裏側の国に当たるブラジル。

この当時でもブラジルには多くの日本人が移住して住んでいたが、ブラジルに住む彼らの間では

「戦争は終わった。日本はアメリカに勝った。」

と、「勝った勝った」と大騒ぎになり、各地で戦勝祝賀会が次々と開かれていた。

まるっきり現実と正反対の話がブラジル国内の日本人の間を駆け巡っていたのだ。当時ブラジルに移住していた日本人は約30万人と言われ、そのうちの90%が「日本は勝った」と信じていた。

もちろん戦争終結のニュースは世界中に報道され、ブラジルでも日本の敗戦、アメリカの勝利は伝えられたが、彼らは逆に「日本が負けたというデマ」が流されていると解釈した。

日本が勝ったと信じていた人たちを「勝ち組」、負けたという事実を素直に受け入れた人たちを「負け組」と呼ぶ。

現在「勝ち組」「負け組」と言えば、一般的には、勝ち組は社会的に成功し、高い収入を得ている人たち、負け組はその逆といった解釈が普通であるが、もともと「勝ち組・負け組」という言葉はここから派生したものである。

「神の国・日本が負けるはずがない」と固く信じていた人たちにとっては、「日本が負けた」と口にする「負け組」の人々は断じて許すことの出来ない存在であった。

「負け組の奴らは、祖国を侮辱する『国賊』である。」

勝ち組の人たちは、そう解釈していた。

勝ち組と負け組はいがみ合い、確執を深めていった。だが、勝ち組が圧倒的に多い現実の中、負け組は.勝ち組と戦うと言うよりも、むしろ勝ち組に虐待される運命をたどることとなった。

2 :風吹けば名無し:2020/08/25(火) 17:55:27.94 ID:qIMmDOCd0.net
なぜ圧倒的多数が、勝ち組となったのか

1945年7月、この敗戦間近の時期、ブラジルのサンパウロに「臣道連盟(しんどうれんめい)」という、ブラジル在住の日本人による組織が結成された。

祖国である日本を応援し、勝利を信じる組織である。7月に発足して、12月には会員が3万世帯にもなったというから、急成長の組織である。それぞれの世帯の家族全員が会員とみなすと、会員数は全部で12万人にも昇った。

ブラジル国内の日本人からすれば、これはあまりにも巨大な組織である。

結局発足して一か月程度で日本は敗戦を迎えたのであるが、発足してからこの臣道連盟(しんどうれんめい)は、戦争における日本の情報を次々と印刷物として発表していき、ほとんどそれが、ブラジル国内における日本人の標準的な情報となっていった。

当時臣道連盟(しんどうれんめい)が当時配布した情報として、次のようなものがある。

「米国の8倍の破壊力を持つ日本の原子爆弾で、犬吠崎沖に集結した米英艦隊400隻が全滅」

「日本の高周波爆弾により、沖縄の敵15万人が15分で撃滅」

「日本軍の放った球状の火を出す兵器により、米国民3,650万人が死亡」

3 :風吹けば名無し:2020/08/25(火) 17:55:41.82 ID:qIMmDOCd0.net
「ソ連、中国が無条件降伏。マッカーサーは、捕虜となり、英米太平洋艦隊は武装解除」

「日本軍艦の30隻、ハワイへ入港。米大統領は日本が指名」
日本は原子爆弾を持っていて、「高周波爆弾」という超未来型爆弾も持っていたという。「高周波爆弾」の意味はよく分からないが。
それに球状の火を出す兵器」とは何だろうか。

この情報を読む限りでは、日本は世界最強であり、無敵である。アメリカ、イギリス、ソ連も中国も敵ではない。

遠く離れた異国の地で日本の勝利を心から願い、そしてこの情報。

臣道連盟(しんどうれんめい)以外の情報源としては短波放送があったが、当時短波放送が受信できるラジオは非常に高価であり、持っている人間もほとんどいなかった。それに受信状態も極めて悪く、よく聞き取れない様な状況だった。

それに加えて、第二次世界大戦では日本とブラジルは敵国同士だったので、ブラジル国内では日本人は相当な制約を受け、肩身の狭い思いをしていた。

日本語の出版物や新聞は廃止され、日本人同士の集会も禁止されていた。日本語学校も閉鎖され、ポルトガル語で書かれた現地のブラジルの新聞も読める日本人はほとんどいなかった。

心のよりどころは、臣道連盟から発行された、「圧倒的日本有利」の情報だけだった。

このような状況の中で、ポルトガル語の新聞の読める日本人が、あるいは短波放送でポツダム宣言の受諾を聞いた日本人が「日本は負けた」と彼らに伝えたとしても、それは全く信じるに値しない情報でしかなかった。

「日本は勝った。負けたというのはニセ情報だ。」

誰からというわけでもなく、各地でこのような声が上がり始めた。そしてこの話は大半の人が固く信じていくこととなった。

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