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鈴木誠也父「学校の勉強なんて社会に出たら役にたたん。走り込みしてこい」

1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/07/22(金) 15:58:28.84 ID:fP6RgyDK0.net
 父・宗人さんの教えは単純明快だった。「勉強するなら、走ってこい!」。おまえは野球で食べていくんだ――。子供の頃から言い聞かせ、誠也も夢に向かって突き進んだ。東京の下町、荒川区町屋。
区立第九中3年時、体育と社会以外の7教科で通知表は「オール1」だった。明けても暮れても野球。まさに町屋を舞台にした漫画「巨人の星」の、星一徹&飛雄馬の親子のようだった。

 「もう、やんちゃな悪ガキでね。おまえはバカか大物かのどっちかだ、とよく言ってました」。
誠也は1歳の頃から、プラスチックのバットを握ってゴムボールを打っていた。区立第五峡田(はけた)小3年の時、荒川リトルで本格的に野球を開始。
当時、宗人さんの発案で、荒川リトルシニア野球協会事務局長・石墳(いしづか)成良さん(53)の町工場「相馬工業」で長さ80センチ、太さ3センチほどの鉄のバットを作ってもらった。
それでゴルフボールを打つ。百発百中で打ち返したという。

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