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三島由紀夫から女やその他色々と学ぶ

1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:54:31.84 ID:bcmYwpmKa.net
われわれ男性は、男のピアニストがどんなに偉くなり、男の政治家がどんなに成功しやうと放置つておくが、
ただ同性だからといふ理由で、女の社会的進出をむやみと擁護したり尻押ししたりする婦人たちがゐる。
フランスの或る女流作家が、現代社会では、男性が、男及び人間といふ二つの領域に采配をふるつてゐるのに、
女性は、女といふ領域だけしか、自分のものにしてゐないと云つてゐるのは正しい。
「不満な女たち」より

2 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:55:06.19 ID:bcmYwpmKa.net
一から十まで完全に良い趣味の男といふのは、大てい女性的な男ですし、ニヒリズムを持たない男といふのは、大てい脳天パアです。
「反貞女大学」より

3 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:55:47.59 ID:bcmYwpmKa.net
女に友情がないといふのは嘘であつて、女は恋愛のやうに、友情をもひた隠しにしてしまふのである。
その結果、女の友情は必ず共犯関係をひそめてゐる。
「美徳のよろめき」より

4 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:56:14.14 ID:IRWfr5vq0.net
ホモから女性を学んだらホモになるだろ

5 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:56:29.67 ID:bcmYwpmKa.net
女は恋に敗れた女に同情しながら、さういふ敗北者の噂をひろげるのが大そう好きで、
恋に勝つてばかりゐる女のことは、「不道徳な人」といふ一言で片附けるだけなのでございます。
いはば、さういふ勝利者は抽象的な不名誉だけで事がすみ、細目にわたる具体的な不名誉は、
お気の毒にも、不幸な敗北者の女が蒙ることになるのです。
「美徳のよろめき」より

6 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:57:14.27 ID:bcmYwpmKa.net
女にとつて優雅であることは、立派に美の代用をなすものである。
なぜなら男が憧れるのは、裏長屋の美女よりも、それほど美しくなくても、優雅な女のはうであるから。
「美徳のよろめき」より

7 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:57:57.52 ID:bcmYwpmKa.net
感傷といふものが女性的な特質のやうに考へられてゐるのは明らかに誤解である。
感傷的といふことは男性的といふことなのだ。
「青の時代」より

男性は本質を愛し、女性は習慣を愛する。
「青の時代」より

男が金をほしがるのはつまり女が金をほしがるからだといふのは真理だな。
「青の時代」より

8 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:58:42.85 ID:bcmYwpmKa.net
若い女性の「芸術」かぶれには、いかにもユーモアがなく、何が困るといつて、
昔の長唄やお茶の稽古事のやうな稽古事の謙虚さを失くして、ただむやみに飛んだり跳ねたりすれば、
それが芸術だと思ひこんでゐるらしいことである。芸術とは忍耐の要る退屈な稽古事なのだ。
そしてそれ以外に、芸術への道はないのである。
「芸術ばやり──風俗時評」より

9 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:58:46.14 ID:zcQMOU7zp.net
左 幼少期は過保護に育てられ女言葉で話すことを強いられる
中 ジャンヌダルクが女と知り落胆
遊 父の持つ聖セバスチャンの絵に興奮し人生初射精  http://i.imgur.com/I3qk0co.jpg
一 後年自分も聖セバスチャンの絵と同じポーズで篠山紀信に撮らせる  http://i.imgur.com/msBRifi.jpg
三 小学校時代、悪童に「どうせお前の睾丸も青白いんだろ」とからかわれると一物を取り出して「おい、見ろ見ろ」
二 海岸で自分の脇の下をおかずにオナニー
捕 初恋がガタイの良い同級生(男)
投 その男が体育で懸垂するのを見て勃起
右 割腹自殺

10 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:59:09.87 ID:D+f+Z/8e0.net
三島由紀夫スレ立てとるヤツ前からなんJにおるよな
同一人物か?三島由紀夫すきやからええけど

11 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:59:31.11 ID:bcmYwpmKa.net
大体私は女ぎらいというよりも、古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思っているにすぎない。
女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに会ったことがない。
事実また私は女性を怖れているが、男でも私がもっとも怖れるのは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど怖いものはない。

また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、教育を全くうけていない聡明な人も沢山いるから、何も私は学歴を問題にしているのではない。
こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、
という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。こればかりは断言してもいい。
しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。
「女ぎらひの弁」より

12 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 12:59:40.00 ID:Dhhp+zfR0.net
最近金閣寺読んだで!

13 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:00:00.45 ID:tCLMPIpCx.net
現代社会(現代とは言ってない

14 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:00:32.15 ID:bcmYwpmKa.net
>>10
二度目や
 
 
女性は抽象精神とは無縁の徒である。
音楽と建築は女の手によってろくなものはできず、透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。
構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の現実主義、
これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。
私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた日本の文学史を呪わずにはいられない。
「女ぎらひの弁」より

15 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:00:36.09 ID:h/GmQrMO0.net
三島が女心を雄弁するのは、三島のお心が女だといふ真実を日元に晒したいためなのです

16 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:01:24.15 ID:bcmYwpmKa.net
私は芸術家志望の女性に会うと、女優か女声歌手になるのなら格別、
女に天才というものが理論的にありえないということに、どうして気がつかないかと首をひねらざるをえない。
「女ぎらひの弁」より

実際芸術の堕落は、すべて女性の社会進出から起つてゐる。
女が何かつべこべいふと、土性骨のすわらぬ男性芸術家が、いつも妥協し屈服して来たのだ。
あのフェミニストらしきフランスが、女に選挙権を与へるのをいつまでも渋つてゐたのは、フランスが芸術の何たるかを知つてゐたからである。
「女ぎらひの弁」より

17 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:01:33.35 ID:H6Ef19/U0.net
不道徳教育講座すき

18 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:02:06.87 ID:bcmYwpmKa.net
女体を崇拝し、女の我儘を崇拝し、その反知性的な要素のすべてを崇拝することは、実は微妙に侮蔑と結びついてゐる。
(谷崎)氏の文学ほど、婦人解放の思想から遠いものは
ないのである。氏はもちろん婦人解放を否定する者ではない。
しかし氏にとつての関心は、婦人解放の結果、発達し、いきいきとした美をそなへるにいたつた女体だけだ。
エロスの言葉では、おそらく崇拝と侮蔑は同義語なのであらう。
「谷崎潤一郎について」より

19 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:02:38.80 ID:Dhhp+zfR0.net
ところで三島由紀夫が童貞じゃなくなったのっていつなん?
仮面の告白を出したときは童貞やろ?

20 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:03:01.74 ID:bcmYwpmKa.net
幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。
「夜の向日葵」より

21 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:03:50.58 ID:bcmYwpmKa.net
パリへのあこがれは、小説家へのあこがれのやうなもので、およそ実物に接してみて興ざめのする人種は、
小説家に及ぶものはないやうに、パリへあこがれて出かけるのは丁度小説を読んでゐるだけで満足せずに、
わざわざ小説家の御面相を拝みにゆく読者同様である。パリはつまり、芸術の台所なのである。
おもては観光客目あてに美々しく装うてゐるが、これほど台所的都会はないことに気づくだらう。
パリのみみつちさは崇高な芸術の生れる温床であり、パリの卑しさは芸術の高貴の実体なのである。
「パリにほれず」より

芸術とは何かきはめていかがはしいものであり、丁度日本の家のやうに
床の間のうしろに便所があるやうな、さういふ構造を宿命的に持つてゐる。
「パリにほれず」より

22 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:03:58.70 ID:QvzX40Uq0.net
この右翼おじさん今の日本見てどう思うんやろ

23 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:04:52.24 ID:bcmYwpmKa.net
私は自分の顔をさう好きではない。しかし大きらひだと云つては嘘になる。
自分の顔を大きらひだといふ奴は、よほど己惚れのつよい奴だ。
自分の顔と折合いをつけながら、だんだんに年をとつてゆくのは賢明な方法である。
六千か七十になれば、いい顔だと云つてくれる人も現はれるだらう。
「私の顔」より

24 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:05:37.72 ID:bcmYwpmKa.net
不安は奇体に人の顔つきを若々しくする。
「毒薬の社会的効用について」より

25 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:06:01.84 ID:EFtFayT7d.net
あ、太宰治コンプレックスおじさんだ

26 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:06:24.09 ID:bcmYwpmKa.net
映画には青少年に与へる悪影響も数々あらうが、映画は映画なりのカタルシスの作用を持つてゐる。
それが無害なものであるためには、できるだけ空想的であることがのぞましく、
大人の中にもあり子供の中にもある冒険慾が、何の遠慮もなく充たされるやうな荒唐無稽な環境がなければならない。
「荒唐無稽」より

私のいちばん嫌ひな映画といへば、それはいふまでもなく、あのホーム・ドラマといふ代物である。
「荒唐無稽」より

27 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:06:39.86 ID:GOVMFvsc0.net
>>22
日本より自分の筋肉鍛えることに夢中でどうでもよくなってそう

28 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:07:16.68 ID:bcmYwpmKa.net
言葉だけの思想的な主張ないしは思想的な説得力には、僕は昔から疑問をもっている。
腕力があり、剣があって、初めて自分の思想が貫かれるのだろう。
最後に人間の顔と顔とが、ぴたっとむかいあったときは、言葉は役に立たないと思う。
やっぱりそのときには剣がものをいうだろうね。
文筆業者はそこへゆくまでのことを一所懸命、言葉で考えてる人間なんだけど、それで言葉が最終的に役に立つと思ったら間違いだと思う。
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より

29 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:08:04.33 ID:bcmYwpmKa.net
教育も教育だが日本人と生まれて、西鶴や近松ぐらゐが原文でスラスラ読めないでどうするのだ。
秋成の雨月物語などは、ちよつと脚注をつければ、子供でも読めるはずだし、カブキ台本にいたつては、問題にもならぬ。
それを一流の先生方が、身すぎ世すぎのために、美しからぬ現代語訳に精出してゐるさまは、アンチョコ製造よりもつと罪が深い。
みづから進んで、日本人の語学力を弱めることに協力してゐるからである。
「発射塔 古典現代語訳絶対反対」より

現代語訳などといふものはやらぬにこしたことはないので、それをやらないで滅びてしまふ古典なら、さつさと滅びてしまふがいいのである。
ただカナばかりの原本を、漢字まじりの読みやすい版に作り直すとか、ルビを入れるとか、おもしろいたのしい脚注を入れるとか、
それで美しい本を作るとか、さういふ仕事は先生方にうんとやつてもらひたいものである。 
「発射塔 古典現代語訳絶対反対」より

30 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:08:26.87 ID:H6Ef19/U0.net
「告白するなかれ」
どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです

すき

31 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:08:51.81 ID:bcmYwpmKa.net
文学の勉強といふのは、とにかく古典を読むことに尽きるので、自国の古典に親しんだのち、この世界文学の古典に親しめば、鬼に金棒である。
「小説家志望の少年に(『世界古典文学全集』推薦文)」より

古典の面白さを一度味はつたら、現代文学なんかをかしくて読みなくなる危険がある。
「小説家志望の少年に(『世界古典文学全集』推薦文)」より

古典文学に親しむ機会の少なかつたことが、大正以後の日本文学にとつて、どれだけマイナスになつてゐるか。
又、大正以後の知識人の思考の浅薄をどれだけ助長したかは、今日、日ましに明らかになりつつある事実である。
「時宜を得た大事業(『日本古典文学大系 第二期』推薦文)」より

32 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:08:56.71 ID:UOzXu7ZJ0.net
意識高すぎおじさん

33 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:09:34.29 ID:g7r0rJey0.net
不道徳教育講座は面白い

34 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:09:37.71 ID:bcmYwpmKa.net
僕たちのことばが、外国語に翻訳される場合に、人情は通じると思うのですよ。
人情は通じると思いますが、ことばは通じない。(中略)
たとえばある橋を渡ったという場合に、その橋という観念のなかに、どういう橋がイメージとして浮かんでくるか。
そのイメージだけは、どんなことをしても伝えられない。文学はそれでいいのではありませんか。
ゲーテの小説を日本語で読んで、橋(ブリユツケ)ということばが出てくるとき、
その橋がドイツのどこの橋がゲーテの頭のなかにあったか、そんなことがわれわれにわかるわけがないですよね。 
林房雄との対談「対話・日本人論」より

35 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:10:28.64 ID:bcmYwpmKa.net
日本で「育ちがいい」といふことは、つまり西洋風な生活を体で知つてゐるといふことだけのことなんだからね。
純然たる日本人といふのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。
これからの日本では、そのどちらも少なくなるだらう。
日本といふ純粋な毒は薄まつて、世界中のどこの国の人の口にも合ふ嗜好品になつたのだ。
「天人五衰」より

36 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:11:08.80 ID:bcmYwpmKa.net
家庭といふものはどこかに必ず何らかの不幸を孕んでゐるものだ。
帆船を航路の上に押しすすめる順風は、それを破滅にみちびく暴風と本質的には同じ風である。
家庭や家族は順風のやうな中和された不幸に押されて動いてゆくもので、家族をゑがいた多くの名画には、
華押のやうに、ひそんだ不幸が手落ちなく一隅に書き込まれてゐる。
「禁色」より

37 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:11:59.40 ID:bcmYwpmKa.net
大ていわれわれが醜いと考へるものは、われわれ自身がそれを醜いと考へたい必要から生れたものである。
「手長姫」より

小肥りのした体格、福徳円満の相、かういふ相は人相見の確信とはちがつて、しばしば酷薄な性格の仮面になる。
独逸の或る有名な殺人犯は、また有名な慈善家と同一人であることがわかつて捕へられた。
彼はいつもにこやかな微笑で貧民たちに慕はれてゐた。その貧民の一人を、彼はけちな報復の動機で殺してゐたのである。
彼は殺人と慈善とのこの二つの行為のあひだに、何らの因果をみとめてゐなかつた。
「手長姫」より

38 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:12:45.42 ID:bcmYwpmKa.net
さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもつとも悪質な自己欺瞞である。それは他人に媚びることである。
他人が私を見てユーモラスだと思ふ場合に、他人の判断に私を売つてはならぬ。
「御人柄」などと云つて世間が喝采する人は、大ていこの種の売淫常習者である。
「小説家の休暇」より

39 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:13:12.44 ID:1GYyjy+Oa.net
本は毒を含んでいて上辺だけじゃなく本質を知ってしまうと本当にヤバいみたいなとこ好き

40 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:13:36.39 ID:bcmYwpmKa.net
同情といふ感情は一種の恐怖心で、自分に大して関係のないものが関係をもちさうになるのを惧(おそ)れるあまり、
先手を打つて、同情といふ不良導体でつながれた関係をもたうとする感情だ。
「親切な機械」より

41 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:14:17.15 ID:geLmQcWOM.net
男が好きなんやと文書からわかる

42 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/02/15(月) 13:14:31.93 ID:bcmYwpmKa.net
明治時代にはあだし男の接吻に会つて自殺を選んだ貞淑な夫人があつた。
現代ではそんな女が見当らないのは、人が云ふやうに貞淑の観念の推移ではなくて、快感の絶対量の推移であるやうに思はれる。
ストイックな時代に人々が生れ合はせれば、一度の接吻に死を賭けることもできるのだが、
生憎今日のわれわれはそれほど無上の接吻を経験しえないだけのことである。
どつちが不感症の時代であらうか?
「純白の夜」より

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