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【朗報】ナベツネこと渡辺恒雄さん、生存を読売新聞が発表

144 :風吹けば名無し:2018/11/28(水) 17:57:42.74 ID:ExOnE8sx0.net
ナベツネ経歴
1926年 現在の東京都杉並区に生まれる(五人姉弟の三番目で長男)
1934年 恒雄が8歳の時に父親が急死する。戦前の家父長下で恒雄が全財産を相続し、家長になる
1939年 開成中学校に入学(5年制)
1943年 東京高等学校に飛び級で入学。網野善彦、氏家齊一郎と知り合う
1945年 東京帝国大学文学部に入学。同年7月に陸軍砲兵連隊に入営するも、終戦の2日前に除隊
1946年 天皇制への嫌悪から日本共産党に入党
1949年 東京大学を卒業して東京大学大学院に入学する
1950年 読売新聞に入社。週刊読売に配属される。高校時代からの学友である氏家齊一郎を誘う
1952年 日本共産党山村工作隊を取材するため奥多摩のアジトに潜入し、拘束される。無事解放されるが、このとき隊のリーダーだったのが、『生きることの意味』の著者、高史明であった。このスクープが認められて政治部に異動。
1954年 結婚。大野伴睦の番記者に。
1956年 中曽根康弘と知り合う
1958年 児玉誉士夫と知り合う。初の著作『派閥』を上梓
1959年 中曽根康弘らと「サイエンティフィック・ポリティクス研究会を始め、6月には中曽根康弘の岸改造内閣への入閣に尽力
1960年 安保反対の全学連デモが国会に突入し、その際、東京大学の樺美智子が死亡するが、これに対する内閣声明を執筆
1964年 大野伴睦の死去に伴い、船田中の番記者になる
1968年 1月、政治部次長。12月、ワシントン支局長に就任
1972年 1月、ワシントンでの任務を終えて、帰国。編集局参与を経て、同年10月に解説部長
1975年 政治部長兼編集局次長
1976年 緒方克行が『権力の陰謀』で、九頭竜ダム補償問題での児玉誉士夫と渡邉の関係を執筆
1977年 編集局総務(局長待遇)
1979年 取締役論説委員長。
1983年 専務取締役論説委員長
1985年 専務取締役主筆論説委員長

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