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まんこ「ガイジ育てたくない!」ヤフー知恵袋回答者「旅行に行きなさい」

525 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/08/10(水) 10:33:51.95 ID:agyrv1Vp0.net
■養護学校で働いてるけどダウン症の子供を中絶した
ここでしかかけないから吐き出す。
あまり細かいことは特定につながるからかけないし、フェイクも入れる。
30超えての妊娠だったので、心配だったこともあり検査を受けた。
その時点ですでに「障害児は産みたくない」と思っていたんだ。
毎日仕事では障害児の教育なんかをしてる自分が、自分だけは障害児はいらないと思っていた。
それでも「まさか私が当たるだろう」なんて思ってなかった。
毎日仕事で障害児の親から障害児を預かり、障害児にモノを教えて、ご飯を食べさせて、職業訓練もして…職場生活の殆どを障害児と過ごしている私が、
結局障害児の母親になることを拒否した。
診断結果を聞いた時、何も迷うことなく
「おろします、すぐにおろします」
と返事をしていた。隣にいた、旦那に何も相談することもなく反射的に答えていた。
頭の中で毎日接している障害児のことを考える余裕はなかった。
ただ考えたのは、その障害児の母親たちだった。
母親たちの愚痴もたくさん聞いた、共感するふりもした。私にできることは何でもしたつもりだった。
でも、彼女たちは数年で私達の目の前を去っていく。
学校にいた時より、学校を出てからのほうが彼女たちには地獄が待ってるのだろう。
たまに卒業生が遊びに来てくれることがあるが、
母親のやつれぶりは相当なものだった。
人間老化したらやつれるものだけど、卒業後のほうがよっぽど苦労した(そして今後も続く)んだなというのが一目見ただけでわかる。
だから、診断を受けた瞬間に浮かんだのはやつれて、この世の暗部をすべて飲み込んだような目をした母親と同じ姿をした自分だった。
「わたしは、それになりたくない」
はっきりとそう思ったし、逆に診断を受けたのにおろさず生んだという保護者にも人間として別の世界に生きているなという感想しか持てなかった。
土日に処置をしてもらってから、数日休みをもらった。
明日からまた学校に戻るのだが、今担任している子供たちを卒業させるのを最後に、異動願いをだそうと思う。
中絶した私が、もう障害児に触れる権利はないし、その母親になにか言えることはもう何もない。
いままで養護学校での教員生活はずっとボランティア等で障害のある人たちに触れ合ってた私にとって天職だし、なにも違和感もないものだったと思っていたけれど、
結局私は彼や彼女らと同じ立場に立つことはできない人間だったとこの一件を通して痛感した。
中絶した子供に対しての罪悪感を全く感じない。
中絶を選ばなかった母親たちへの軽蔑も止まらない。
ごめんなさい、この仕事を選んだ私が愚かでした。

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