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17年前の永谷園のお茶漬けCMwwwwwwwwww

422 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/01/29(金) 02:17:43.76 ID:wmDt/JXyK.net
平安時代の文献にしばしば登場する「水飯」や「湯漬け」は、ご飯に水やお湯をかけた、手軽な食事のことで、お茶づけのルーツであるといわれています。
ちなみに、当時、米は甑(こしき)という調理器具で蒸しあげた「強飯(こわいい)」が主流でした。硬くて粘り気のないものだったそうです。(一方、現在のように釜や鍋で炊いた米は「姫飯(ひめいい)」といいました。)
『今昔物語集』には、三条中納言という人物が、肥満解消のために医師の勧めに従って「冬は湯漬け、夏は水漬け(=水飯)」を食べるという話が残されています。
しかし、彼は干し瓜や鮨鮎をおかずに大盛りの水飯を何杯も食べるありさまで、結局ダイエットには失敗してしまうのですが、当時「お茶づけ(ならぬ湯漬け)でダイエット」の発想があったことには驚きです。
戦国武将織田信長と斎藤道三の初対面は、湯漬けを食べながらの一席となりました。
このように、鎌倉時代から室町時代にかけて、簡便な湯漬けは武家の間で愛好されました。
中でも湯漬け好きとして知られるのが、室町幕府八代将軍足利義政。彼が酒に酔ったときにご飯にお湯をかけて食べたことから、湯漬けを食べる習慣はいっそう世間に広まったといいます。
後には「おかずは香の物から食べはじめること」「汁は最初に飲まないこと」など、湯漬けの食べ方にもさまざまな約束事が作られるまでになったそうです。
ところで、ここまでは「湯漬け」はあっても「茶漬け」は出てきません。というのも、
お茶が普及したのは、室町時代後期以降のこと。
お茶が庶民のものになるに従って、お茶づけにお茶をかける習慣も広がっていきました。
しかし、当時人々が飲んでいたのは、色が赤黒く味も香りも薄いお茶でした。現在のような緑色で味のよい煎茶の製法は、江戸時代中期に完成したものです。そして、長い苦労の末にその製法を開発したのは、永谷園の祖先である永谷宗円でした。

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